いとまのラウンジ

メンタルヘルス不調経験者による”今ちょっとしんどい”人に向けたブログ

クソ真面目だった私が適応障害を経験して物事を楽観的に見られるようになったワケ

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こんにちは、サツキです。

このブログのプロフィール欄にある、「仕事一筋の元営業女子が適応障害を克服すると、人生楽観モードになりました」という紹介文。"今、人生最大級にメンタルが落ちていたとしても、過ぎ去ればきっと前よりも生きやすい自分になれるよ"というメッセージのつもりでした。しかし、そういえばなぜ私がそう思うようになったかということを全く書いていませんでしたね。笑

というわけで、今日は「生真面目な人間だった自分が適応障害発症後にどうして物事を楽観的にとらえられるようになったのか」という理由について、自分なりに考察していこうと思います。

基本性格|生真面目で完璧主義

適応障害にかかるまでの自分の性格は、生真面目で完璧主義。物事を0か100かでしか捉えることができず、必要以上に責任を自分に課してしまう性格でした。

一見、長所としても捉えることはできますが、見事にうつになりやすいと言われる気質と重なっています。※詳しくはこちらをどうぞ▼

www.itomalounge.com

またそういった気質に加え、周りの人間を見て「あの人は相手を傷つけるようなことを言いたい放題なのに、我が物顔で生きていられていいなぁ」とか、「この人苦手だけど、なんか私にはいろいろ言いやすそうなんだよな...」などといった、対人関係や自分を主張するという点において、私は損をするタイプなのでは?という考え方をしてしまうことも多々ありました。

今でこそ考えると、潜在的に自らそういう立場に身を置いてきたのかもしれませんが、総括して、全体的に"割を食う"性分だったように思います。

1回無職になったら考え方が変わった

先ほどの特徴は基本的な性質なので、簡単に変わることはありません。

ですがそんな性格が災いし、適応障害で仕事もプライドも失ったとき、始めて考え方が変わりました。

①真面目過ぎなくても、多分生きていける

まず極論。仕事がなくてもその期間、普通に生きていられることができました。

本当にそれだけのことなんですが、真面目に仕事をしすぎていた時も、体調を崩して家で何もしてない時も、とりあえずは同じ「生きてる」。それと同時に、当時の私は少し抑うつ状態が入っていたため、「今までこんなにしんどかったことはない」と人生のどん底を知ったような気分でいました。

そういった状況で少しづつ、「普通に行きていくにおいて、身体を壊すほど真面目になりすぎるのっておかしいのでは?」と考えるようになりました。

結果的に、「少しくらい休んでもOKなんだ」という肯定につながったり、ある程度物事を楽観的にとらえられるようになったりしたように思います。

②真面目過ぎなくても、仕事はできる

そして仕事面でいうと、「必要以上に真面目になりすぎなくてもきっと仕事はできる」という考え方を肯定できるようになりました。

仕事上で出会った、何度も休憩に行く人や言われたことしかしない人などに、ちょっとした不満を感じたことの数々。。でも悲しいかな、それでも大なり小なり「仕事をしている」ということは事実なんですよね(時にそうでないこともあるとは思いますが)。じゃあ、自分も少しぐらい気楽に構えてもいいんじゃないか。

もちろん仕事をする上で、ある程度の真摯さや真面目さは必要だという気持ちは変わりません。要は先ほどと同じく「自分が損をするほどまで真面目になりすぎる必要はないな」と思ったということです。

③真面目過ぎなくても、結局なんとかなる

結局、真面目にやりすぎてもそうでなくても、物事なるようにしかなりません。

もちろん「なんとかする」気持ちがあるから、なるようになっているのかもしれませんが、多少休んでも力を抜いても、その時の精一杯で解決します。

これも①②を合わせたような考え方になりますが、完璧でなくても最低限のことをしていれば、大概のことは最悪の事態には至らない。そんな風に思えるようになりました。

④真面目過ぎても、嫌な相手は変わらない

生きていく上で、周りに苦手な方や嫌いな方は誰しもが多少はいると思います。

今回の私の適応障害の主な原因は、特定の人物からの陰湿な口撃でした。この人に限らず、今までの自分はそれでもなんとか真摯に話をしよう、きちんと向きあおうとしてきましたが、その考えはなくなりました。

自分の中で「この人無理だ」という気持ちを認め、関わらない(or割り切って接する)ようにした方がよっぽど健康にいいです。(適応障害になる場合は逃れられずしてなるパターンが多いかと思うので、説得力はないのですが...)どんなに真面目に頑張ろうが、相手が変わることはありません。

まとめ:ある程度力を抜いても、いい意味で何も変わらない

総括して、「そこまで生真面目に根詰めてやらなくても、物事きちんと運ぶことも多い」ということに気づきました。

決して「手を抜くことが正解」「無責任万歳」と言っているわけではありません。もちろん生きていく上で、自分と関わりのあるものに対する真摯さ・責任感は必要です。

しかし、自分の心をすり減らしてしまうほどの生真面目さや必要以上の自己犠牲は不要。そうしなくでも生きていけるのであれば、同じ「生きる」において少しくらい気楽に構えた方が心身健康じゃん!ということです。

メンタルヘルス不調に陥る人は、人一倍生真面目だったり過度な責任感を持ったりしていると言われているので、少しくらい力を抜くくらいの気構えて行く方がいいのではないでしょうか。。

 

以上が、私が楽観的に物事を楽観的に見られるようになったワケでした。

人生まだまだ何が起こるかわかりませんが、少なくともMAX疲弊していた時よりは、楽しく過ごせていると思います。